archives of me.

いろいろと備忘のための

日経新聞を読む時間

以下、個人的はしりがきにつき日本語気にしません。テーマは:一日20分でよいから日経新聞を毎日欠かさず読む習慣をつける。そのためにいかに時間を確保するか?→
●通勤ラッシュがひどいため通勤中読むのはむり。1時間半もかかるが。立って読むなら文庫本を。
●帰宅後は?なんとなく部屋で読む気しない。また飲んだ帰りはすぐ寝てしまうため無理だがということは最低でも週二日は時間確保可能。帰宅後ビール飲んだあとはすぐ寝てしまうから無理。でも晩酌は欠かせない。総合すると一日の終わりにわざわざ自宅で新聞読むきにはならない。
●勤務時間内の移動中or営業周りの休憩≒さぼり時間は?→少なくとも一日2時間くらいは移動打ち合わせの予復習や仕事のこと考えたりなんだかんだで。仕事しんどいときや考えが煮詰まったときの思考転換には◎。ただほんまに疲れたときは電車の中で寝たい。
●朝一。毎日6:00起き6:30発の電車で会社の下のカフェで読む。毎日6:00起きするには日経新聞読むため、というのはインセンティブが弱い。


総合すると勤務時間中の空き時間=移動中orさぼりカフェが一番現実的で続けられそう。ぶっちゃけ仕事は大してしんどくない(うちの仕事できつかったら他の会社じゃやっていけないであろう)から、その気になれば仕事しながらも学生時代みたいに勉強を充実できると思う。久しぶりに勉強欲がわいてきたし、仕事も慣れてきた時期やから勉強習慣を立て直すにはいい機会だろう。
近日中に、1日経新聞を読む際の自分なりのテーマ。2読書と仕事関連の勉強と英語の勉強と日経新聞の時間配分、ポートフォリオについて書いておきたい。
ブログに書けばなんだかんだで見直すし自分が何考えてたかのアーカイブが見れるのがいい。その点自分はツイッターへの乗り換えはしないかなあ

地図が怖い

昨日変な夢を見た。夢の中で自分は見知らぬ土地の地図を見ていて、それが怖くてたまらない、という。
この夢がすごく印象に残っていたので、「地図が怖い」というのが一体どういう状態なのか、どのような地図が怖いのか、考えてみたのだけれど、うまく説明できない。
そこで、Googleで「地図が怖い」と検索にかけてみると、意外にも同様のことを言っているサイトなり2chのスレッドなりがでてきて驚いた。「地図が怖い」という現象は、一般的とまでは言えないまでも、それなりの市民権を得ているようだ(ほんとか?)。
とりあえず分析するならば、地図が怖い感覚は、見知らぬ土地に独りぼっちで取り残された感覚に近いと思う。のだけど、それだけの説明では、あの夢の中の何とも言えない感覚をうまく取り出して言語化することができない。

メタ書き。

ああもっと文章が書けるようになりたい。文章が上手くなりたいとかじゃなくて、単純に量とスピードの問題。短距離走的ベクトルと長距離走的ベクトルの双方において。頭の中に浮かんだアイデアをアウトプットする際のスピードと精度と持久力。今後、時間も労力も余裕がなくなって、それでも自分のために文章を書く時間を確保しなければならないのだ。今、なにかを掴みかけてはいるが、ここで気を抜いては全部スッキリ忘れてしまいかねない。今頑張らなくてはならないのだ。…結局のところ、そのために必要なことは毎日の節制とセルフマネジメントに尽きると思うのだけれど。
ともかく、早く寝よう。寝よう。寝る。羊が一匹、羊が二匹、スケープ・ゴート。山羊のスープ…

以下、かなり意味不明な極私的メモ。
●どこまでいっても、「意識化」、分節線を逃れることはできない。
●われわれは、経験的知を「パターン化」?することによって、リスクを排除する。ある程度「パターン化」、「マニュアル化」しておくことは、日常生活においては必要である。
●しかし、「パターン化」、「マニュアル化」することには、よくよく慎重になる必要がある、と私は思う。
●「パターン化」・「マニュアル化」した時点ですでに無分節者は分節され、存在エネルギーは死んでしまっている。(お前はもう死んでいる)
●では、敢えて「パターン化」・「マニュアル化」を、本当はできるのに、「せずに済ませておく」のが望ましい、のだろうか?すなわち、分節を逃れるために、下手を装うことが?
●いや、もうその時点で計算であり、それを意識化している時点で駄目だと思う。無能を装ったしたたかさ、というか。
●「それでもいい」という人がいるかもしれない。というか、多くの人はそうであろう。
●私は、やはりこういう堂々巡りに至ってしまった場合、もう、何か抜本的な変化が必要なのだと思う。同じ土俵、物差し、パラダイムの範疇でやれることはやり尽くしてしまっているわけで、「馬車を何台繋げても汽車にはならない」(cf.シュンペーター)のだから。
●「迷わず古い荷物を捨て君は新しいドアを開けて進めば良いんだよ」とミスチルが歌っていたけれど、「そこだけ俺も同意」(cf.シロップ16g)します。

意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)

意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)

経済社会と物語

●77 文芸分析家は、物語にはパターンがあると論じている(ジョルジュ・ポルティ=36種類。トバイアス=20種類=探求、冒険…など。)
●80経済学者としては、物語に基づいて分析を行うのは専門家らしくないとされている。…物語の使用に慎重になるべき理由は大いにある。…だがその物語自体が市場を動かしていたとしたらどうだろう?
●物語自体が、経済の仕組みの本当の一部だとしたら?
●もしそうなら…物語は事実を説明するだけにとどまらない。それ自体が事実となる。
●物語の拡散は、伝染病のようなかたちでモデル化できるだろう。物語はウイルスのようなものだ。感染症学者は伝染病の数学モデルを開発しており、これは物語や安心の拡散にも適用できる。

アカロフ,シラー『アニマルスピリット』

(…は「中略」の意で用いています)


アニマルスピリット

アニマルスピリット

「読書の旅」計画

青春18切符を購入し、本をどっさりと持って、鈍行列車に乗ってひたすら遠くへいく。そんな旅に出たい(笑)
●自転車の旅とか、ヒッチハイクの旅も捨てがたいけれど、やはり移動中に本が読めるという点で、電車の旅がベストであろう。
●持っていく本は、文庫本で、なるべく難しいものがいい。読みたいけど普段なかなか時間の取れず読まないもの。岩波文庫に入っている古典的名著がいいだろう。あるいは、ちくま学芸文庫とか。これを期に哲学書にどっぷりと浸るのもいいかもしれない。*1。読むのに飽きてしまえば、どこかで本屋を見つけて調達すればいいだろう。
●行くとすれば、時期は3月が望ましい(2月だと寒すぎる)。いろいろと気持ちを整理したくなる時期、区切りの時でもある。
●あと、駅弁を食べたい。これが第二の目的(笑)
●計画以上。たった今思いつきで書いたので、本気で実現する気があるのかどうか、自分でもよくわからない(笑)

*1:国富論』『資本論』『一般理論』もいい加減挑戦しなければ、ですが

以下は、作家Raymond Kromwellが、少年時代に通いつめた図書館の思い出について語ったエッセイの一文である。

借りたばかりの本は、なるべく早く読み進めるのが望ましい、と思う。経験的に、図書館から本を借りてきた喜びというのは大きなもので、その喜びがさめてしまうと、読むのがおっくうになってしまうものなのだ。