archives of me.

いろいろと備忘のための

駄文

  • 携帯版のデザインをマイナーチェンジしました。気分転換。ほんとはブログのタイトルを変えたいのだけど、適当なのが思い付かないので…
  • さっきまでぼんやりとyoutubeを見ていて、クラシックの気分だったのでいろいろ「気になるけどまだ聞いていない曲」をたくさん聴きました。シューベルトピアノソナタ第19番、フォーレ室内楽曲、レスピーギワーグナートリスタンとイゾルデ》、ブルックナーの第7番、マーラーの歌曲などなど。ドビュッシー熱も「とりあえずは」一段落したので、再びいろいろ探索する時期にしたい。特にいままでは「バロック+フランス近代+新ウィーン学派」という感じで、19世紀の音楽がぽっかり抜けていたので、古典派〜ロマン派を少し聴かなければ。特にモーツァルトシューベルト、後期ロマン派(ブルックナーマーラー)あたり。でもやっぱりまだベートーベンはなぜか苦手なのです… あと、フォーレの《レクイエム》はやっぱり凄く好き。
  • 4月〜5月は、なぜか特別な安らぎや新鮮な気持ちで過ごせていて、すごく豊かな気持ちで過ごせていたのだけど、6月なかばくらいからさすがに疲れてきたのか、だんだん状態が悪くなってきた。生活リズムとか日々の作業の集中度とか良い本に出会う頻度とか、いろんな面において。ずるずると来てしまい、もう7月半ばか。…やらなきゃならないことが増えてきてしどろもどろになっている、という感じかも。まあなんとかぼちぼちこなせてはいるが、来週はレポートの提出、定期試験開始と、さらに大変になるんだよな。こういうときは自分への周りのあらゆるものの接続を切ってしまうのに限る。具体的には、ケータイとパソコンの電源を切って、本も読まずに、ねっころがってただ寝るのだ。それで結構すっきりする。ケータイは外界との接続の象徴だから、これを絶ってしまうこと自体に象徴的な意味があるのかもしれない。勉強するときとか、ケータイを切っておいたほうが集中できますよね。そういう感じ。先ほど「ねっころがってただ寝る」と書いたが、これは必ずしも熟睡する必要はない。むしろ、睡眠せずに目を閉じてじっとしていると、普段できないような自問自答にゆっくり時間を取ることができ、気持ちに整理がつきかなりすっきりするので望ましい。…「意識の流れ」的に長々と書いてみました。このブログは、最近日記とか独白めいたことを書いていなかったので、たまには。というか、油断しているとブログまで「人の目を気にして」書いてしまうわけで。せっかく自分用の空間、好き放題書きなぐるために作ったブログなのに。ほんと、自分が書くことは、つくづくユーモアに欠け、語彙が乏しく、考察は薄っぺらで、俗っぽくて、方向性のはっきりしないものばかりだけど、これからもどうかよろしくお願いします(といっても、1日の訪問者20人前後のブログなので、定期的に読みにきてくれている人がいるのかどうかもわからないが)。