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いろいろと備忘のための

Tomasz Bednarczyk『Let's make better mistakes』


「音響的聴取」ということを私なりに簡単に説明するなら、聴いたときの効用が、感情でも理性でもなく、身体感覚にもたらされる、というところだと思う。マリー・シェーファーの有名な『世界の調律』という本では、「音」は触覚の延長であるという指摘があったが、それと同様に、「音響的聴取」による心地よさは、触感の心地よさの延長上にある、と言えるかもしれない*1
このアルバムを聴いていると、まるで水の上をただよっているかのような心地よい感覚に浸ることができる。これは比喩的な意味ではなく、本当にそのような身体感覚を「思い出す」のだ。プールで泳いだ日の夜ベッドに入ると、水に浮かぶ感覚がまだ身体に残っていて、非常に心地よい感覚に浸る。その感覚を「思い出させる」音楽なのだ。
ところで、音韻で聴くことと音響で聴くこととを分けるのは意外と困難なのかもしれない。例えば、ある音楽にノスタルジーを感じるとき、ただメロディーや和声といった音韻に対してノスタルジーを感じているのではなく、そこにはもちろん音響面が付いてくるわけで。
また、身体的な心地よさといっても、一様ではない。例えばすごく良い音のプレイヤーとヘッドフォンで聴いてテンションが上がる、みたいに、身体的な快楽と感情的な快楽は不可分である。(ただ、そんなことを言ってしまうと身も蓋もないので、便宜的にこのような分類を用いるわけですが)
このアルバムは12kから今年リリースされた作品で、私はこのレーベルから出たアルバムをいくつか聴いてきたけれど、これは今まで聴いたなかではトップクラスに好きかもしれない。ドローン+フィールド・レコーディングという作風だが、少し前に記事にしたtim heckerのような分厚いドローンよりも、こういった繊細なドローンの方が好みかもしれない。作者が同い年であることに少し驚いた。
6曲目、「ふと思い出したから弾いてみた」という感じで唐突に始まるピアノの曲が素晴らしい。ピアノ独奏とフィールド・レコーディングから成るのだけど、それらがちゃんと必然性をもってアンサンブルしているように思う。言ってみれば、楽音と非楽音が奏でる対位法、という感じ。
●追記。「水の音楽」といえば当然ドビュッシー「水の反映」やラヴェル「水の戯れ」を思い出すわけだけれど、ピアノの独創でありながらあれほど「水」を感じるのは、よくよく考えてみれば不思議だ。音韻だけで水の質感を連想させるわけだから。

*1:しばしば「音楽は本質的にエロティックである」とか言われることがあるが、その要因はここにあるのかも笑