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いろいろと備忘のための

吉田秀和全集(3) 20世紀の音楽

吉田秀和全集〈3〉二十世紀の音楽

吉田秀和全集〈3〉二十世紀の音楽

…ことに、「芸術」を対象としたとき、それが言葉を表現の根元的な媒体としたものでない芸術の場合、具体的にしようと勤めないで、議論をすすめるのは、読者に自分で判断する材料を与えないで結論をおしつけることになりやすい。私は、そういうやり方は、当面の「芸術」を思う時、やましい気持ちがするのである。私のほうがまちがっている可能性が、多分にあるのだし。…今の私の状態というのは、自分が何か夢をみていたのではないか?目をさましたら、まるで別のものが見えてくるのではないか?いや、自分にいまみえているものは、そういう過程の中の出来事ではないだろうか?こういう思いの支配から離れないのであって、ありていをいえば、私の手中にあるものといえば、この恐れ、不安だけなのだ。

吉田秀和全集から一冊、読んでみたのですが、これがすこぶる面白くて、一気に読んでしまいました。
個人的に特に印象的だったのは、ヴェーベルン武満徹の作曲家論。両者にどこか通じるものがある(技法的にではない)ということについても、言及されています。
またヴェーベルンに関しては、音響、「音色旋律」といった事柄も、かなり詳細な記述がありました。このヴェーベルンの音響的側面は、先日書いた記事のの時点ではあまり意識できておらず、これを読んでまた少し認識が改まりました。
今後クラシック〜現代音楽を聴いていく過程で、度々読み返していきたい文章たちです。