『建築と破壊』 飯島洋一著
- 作者: 飯島洋一
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2005/12
- メディア: 単行本
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- ジョエル=ピーター・ウィトキン*1、スーザン・ソンタグ『写真論』、「反解釈」、ベンヤミン『複製技術時代の芸術』、アンドレ・ケルテス、ダイアン・アーバス…など、写真作品、写真論への言及が多い。最近写真に興味があっていろんな有名な写真家の作品をネット上で眺めたり写真史の本を読んだりしており、またたびたび引用されるボードリヤール『象徴交換と死』を読んだことがあるので、この手の本にしてはすっと読みきることができた。
- 写真って、ゼロから創りだす/心理主義的に近代的個人の内面の表出する表現ではない「表現」であるというのが特徴なのかなあと。というか、ある種そっちのほうが自然で直截的な行為であるように自分は思う。空が綺麗なのを表現するためにわざわざギターを手にとってメロディを付けて…っていうより、直截それを写真に写してしまうほうが、より自然な発想であろう。その点、音楽はもともとが抽象芸術であるわけで「音楽って不思議だなあ」と素朴にも思うのだけど、フィールドレコーディングとかは写真に近いと思う*2。本書のなかでは写真とは「人間の手、精神を介さず、機械いによって世界を記録すること」それ自体に対する驚きである、といったことをいっているが。
- 写真以外で印象的だったのは:キリスト教におけるパンの薄片の意味、宗教的なフェティシズムといった話。
- こういう「批評」ものを読むのって、ある意味「作品」を消費するのと同義というか、同様の面白みがあるように思う。批評と作品の関係、などというと、難しくてよくわからないけれど。全体の雰囲気を楽しむものでもあるし、アナロジーの面白さでもある。
- と、書いてきたが、本書の主要なテーマは9・11なんですね。ただし9・11に直接触れている箇所は少ないです。一見9・11とは関係のない数々の話題からなりたっています。そういったさまざまな「部分」から、「9・11とはなんだったか」という「全体」を漠然と想起させる、というような内容。
- この本が書かれたのは数年前なのだが、その数年前も微妙に過去のものとなっていて、微妙に今の空気とは違うものがある*3。2008年(の夏)以前に読むのとそれ以降に読むのとでは、また違って見えるのではないかと思った。
- 9月22日 訂正。