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いろいろと備忘のための

15年。

一昨日、友人と一緒に神戸へショッピングに行ってきました。1月17日、阪神・淡路大震災から15年ということで、皇太子さまが来られていたり(なんと、生で拝見することができた!)、普段より異常に人が多く(東京みたいだった)、何か街全体が特別な空気に包まれていたようでした。
残念ながら、震災関連の行事?に参加することはできませんでした。しかしせっかくの機会ですし、「1月17日に神戸に行く」ことも初めてなので、ここで少し震災について書いてみようと思います。
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初めに断っておきますが、私の住んでいる場所は、兵庫県のやや北の方面なので、神戸〜西宮のような、被害があったわけではありません。家が壊れるようなことはなかった(震度4)し、親戚や知人が深刻な被害に遭う、といったこともありませんでした。
しかし、それでもやはり、あの震災には特別な思いがあります。
その思いについて、端的に言語化するとすれば、やはり、「当たり前だと思っていたものが、一瞬のうちに失われてしまう恐怖」ということに尽きるのではないでしょうか。
あの地震を、小学2年生だったとはいえ、
いや、幼少期でありかつ、かすかに記憶の残っている時期に経験したからこそ、そのような「当たり前のものを失う恐怖」が、原体験として私のなかに強く刻まれているように思います。
私たちが子供の頃、ベルリンの壁が崩壊し、いろんなところで「21世紀は希望の時代」とか「あなたたちは希望の21世紀を生きていくのですよ」などと言われて育てられたように思います。
それを幼少期の自分が実際覚えているのか、はたまた「記憶の記憶」に過ぎないのか、それはわかりません。しかし、ともかく、私たちはそのようにして育てられてきた「21世紀少年」であると言うことができます。
やや性急な議論ですが、
95年という年は(もちろん、地下鉄サリン事件を含めて)、そのような、冷戦以降のささやかな平穏がかき消されてしまった年、と言えるのではないでしょうか。
バブル崩壊後の不況の最中にあった日本が、希望と平穏に充ち溢れていた、というのは疑問の残るところですが、私は、ここでは経済情勢は大した問題にならないと思います。例えば、リーマンショック911とでは、人々に与えた心理的影響は、全く種類の異なるものでしょう。
1995年1月17日未明、私は「偶然」にも*1地震が来る数分前に目が覚めました。そして、あの揺れが来た瞬間を、身をもって体感したのです。嘘のような話ですが、これは、私の記憶の中に深く刻まれています*2
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繰り返しになりますが、私が実際に「経験」したのは、決して甚大な被害ではありませんでした。その意味で、私は所謂「被害者」ではありません。私の経験など、例えば震災で家族を失った方と比べることのできる類のものではありません。
(だから、震災について正面きって語ることには強い抵抗を覚える。軽々しく語っていいのだろうか、と。)
それでも、私は、「個人的な経験としての震災」を「忘れない」ことが、重要なのではないか、と思っています。
それは、他人と比べようのない、「純粋経験*3?であり、他人と共有しづらいものです。しかし、だからこそ、「記憶に留めておく」ことを大切にしたい、と思っています。人それぞれの「震災」が、「社会的に構築」されるのだとすれば、それにコミットする権利(と、少し軽めの義務)を、誰もが持っているのだと思います。
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最後になりますが、震災で亡くなった方々へ、改めてご冥福を御祈りします。

*1:これが偶然であったのかどうか、今となってはよくわからないのですが

*2:このような「原体験」、「記憶」の不思議さについては、『1Q84』の天吾の経験や、それについての内田樹のブログでの言及を参照のこと。あるいは、バンプ・オブ・チキン「ロストマン」、「涙のふるさと」の歌詞。

*3:cf.西田幾田郎

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