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いろいろと備忘のための

「ロジック」と「ストーリー」に関する覚え書き。

  • 自分は、物事をストーリーで理解することがあまり得意ではないのかも(かといって、ロジックで理解することが得意、なんて胸を張って言えるわけではないが)。
  • 日常的レベルでの例:小説や映画のあらすじを掴むのに時間がかかる。そしてそれが面倒臭い。ネタバレに無頓着。小説や映画を観る前にあらかじめストーリーをチェックしておく。そうしないと、単にストーリーを追うだけの中身の薄い観賞になってしまうように思うので。
  • テレビでのバラエティー番組を見ていたり、まわりの友人の会話などを聞いていると、みんな物事をストーリーで捉えることが好きなようだ。少なくとも自分にはそう見える。お笑い芸人の語る話はまさに「ストーリー」であるし、ニュース報道やドキュメンタリーは、事実を正確に伝えることよりも、事実をストーリーとして構築して(社会的構築主義?)、伝える。その方がより人を引き付けるからであろう(だから、手っ取り早く事実を知りたい場合にはニュース番組や新聞は不便である。ネット上のニュースを含め)。人びとの「笑い」も、基本的には、あるストーリーの中に一ヵ所だけ不自然なキーワードを持ち込むことで可笑しさを生み出す、みないなケースが多いように思う(例えば…)。対して、ロジカルな冗談は伝わりにくい。
  • 経済学はロジックだが、経済史はストーリーである。物事を時系列にそって理解するという点で。
  • ロジックによる理解、ストーリーによる理解の他に、雰囲気で理解すること、「肌で感じる」とかいう理解も存在する。言葉によって文節される前の「ぶよぶよとした」理解(cf:井筒俊彦『意識と本質』)。感覚的/無意識な理解。例えば音楽。映像。絵画。あるいは、ある一人の人物に対する印象。「何とも言えないけれど、独特だなあ」という理解。この理解が一番頭に残りやすい(追記。ここで経済学の術語「合成の誤謬」という言葉を引き合いに出してもいいかもしれない)。