archives of me.

いろいろと備忘のための

ブログでしか晒せない恥ずかしい独り言

  • なぜか驚くほど久しぶりに、ミスチルを聴いている。ミスチルにまで退行しなければならないほど、神経が伸びきっている(?)のかもしれない。あるいは、無理してクラシックや現代音楽を聴き続けてきた反動?基本的には、過去の通った音楽遍歴を振り帰るようなことはしたくないのだけど。…思えば最近の不調は、リフレッシュするための音楽なり小説なり映画なりの深い体験、そういう時間を取ることができていないことが原因なのかも。春ぐらいなら、二週間に一度くらいはそういう時間を取ることができていたような。イーストウッドチェンジリング』とか、ドストエフスキー地下室の手記』とか、そういうずしっとくるもの。
  • ミスチル村上春樹、について考えてみる。どちらも、いろんな意味で非常に扱いにくい(言及するのが恥ずかしい、というのも含め。距離感の取り方が難しい、というか?)ので、多くは語れないのだが。ミスチルを好きになるある種のタイプの人、村上春樹を好きになるある種のタイプの人に見え隠れする、自己陶酔的な傾向。自分もどうしようもなくそういう傾向があるので、そういう人に対して僕は愛憎入り乱れた、近親憎悪的な複雑な感情を抱いてしまう。
  • ミスチル村上春樹の共通点…葛藤を描きつつも、あるポイントでそれを「喪失感」とか「切なさ」に昇華してしまうところとか? いや、それ自体は別に悪いことではないと思うし、そういった「喪失感」や「切なさ」で救われる思いがするのも決して悪いことではないのだけれど。ただ、これは強がりでも何でもなく、「この曲を聴いて/この小説を読んで私は救われました」なんて思ったことは一度もないんですよね。これは村上春樹ミスチルに限らず、どの作品に対してもそうなんだけど。本当はいちいち作品を観賞したり、そんなことをしても何も生まないし、「嗜好品」に過ぎないから、できればその時間をもっと生産的なことに使いたい。でも結局それじゃあ持たないから、結局聴いて/読んでしまうんだけど。じゃあやっぱり結局は「救われてる」ことになるのだろうか?そして結局はミスチルの歌詞にジーンときてしまうという。。これは相当疲れてるな、まじで。