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いろいろと備忘のための

アマルティア・セン「合理的な愚か者」

論文集(?)『合理的な愚か者』に収録された論文「合理的な愚か者」の、読書メモです。
電車内で携帯へメモりました。内容は、たぶんあまり理解できていません。
()は引用者による捕捉。「」は本文からの抜き出し。…は飛ばした箇所を指す。

●エッジワース「数理心理学」。「経済学と第一原理は、どの行為者も自己利益のみによってどうきづけられているということである。」
●なぜエッジワースは、彼自身が偽だと思っていたような第一原理を有する研究のために、あれほど多くの時間と才能とを浪費したのであろうか。…問題は、何ゆえに人は、たんに細部において不正確というのではなく根本的にあやまっていると自分でも思うような仮定を選ぶのか、という点にある。
●たとえば家族、友人、地域社会…は社会的・経済的階級の権利要求(claim)である。…こうした(自己と社会全体との中間領域についての)考察が協定と契約の経済学にとっても重要…。
●スペンサー、シジウィック。
●いったいいかなる意味で、またどの程度までに、利己的な行動は社会の善を達成しうるのか。
●アローとハーン。
●問題は次のことである。すなわちモデルが分析可能なものとなるために一定の仮定によってモデルの本性が厳しく制約されているとき、そうした仮定を伴って十分に定義されて立てられた問題にたいして、どこまで精確な答えが与えられているか、ということである。
2.
●経済学における利己主義的人間観。
●人は、「あらゆる孤立した選択の行為においてその人は自分自身の利益を推し進めようてしている」という人間観。顕示選考の理論。バトラー『ロールズ・チャペルでの説教』。
●ここでは、「単細胞の利己主義者」であれ、利他主義者であれ、ただ単に「紅葉を最大化しようとしている者」として登場する。
●上記のアプローチを「合理的選択」とよぶ。
●「ひとたびわれわれが選好と厚生の奇妙な定義を避けてみるならば、右(上)のアプローチは多くを仮定しすぎているし、また余りに少ししか仮定していない。」…
●消費者の意思決定論、心理学(マーケティング論?)。今後の課題は、これらが、「はたして厚生最大化のアプローチが頼みとしている無矛盾な選択の形式的制約の枠内すべてとらえうるのかどうか」という問題である。



●「共感」と「コミットメント」。
●(「共感」に関しては、スミス『道徳感情論』と同じ定義。か?)
●コミットメントの定義:「一つのやり方として、その人の手の届く他の選択肢よりも低いレベルの個人的厚生をもたらすということを、本人自身が分かっているような行為を[他人ふの顧慮ゆえに]選択する」、という行為。
●「共感」は、経済学的には「外部性」の一つである。

返却期限がきてしまったので、つづきはまた今度。

合理的な愚か者―経済学=倫理学的探究

合理的な愚か者―経済学=倫理学的探究