archives of me.

いろいろと備忘のための

以下、かなり意味不明な極私的メモ。
●どこまでいっても、「意識化」、分節線を逃れることはできない。
●われわれは、経験的知を「パターン化」?することによって、リスクを排除する。ある程度「パターン化」、「マニュアル化」しておくことは、日常生活においては必要である。
●しかし、「パターン化」、「マニュアル化」することには、よくよく慎重になる必要がある、と私は思う。
●「パターン化」・「マニュアル化」した時点ですでに無分節者は分節され、存在エネルギーは死んでしまっている。(お前はもう死んでいる)
●では、敢えて「パターン化」・「マニュアル化」を、本当はできるのに、「せずに済ませておく」のが望ましい、のだろうか?すなわち、分節を逃れるために、下手を装うことが?
●いや、もうその時点で計算であり、それを意識化している時点で駄目だと思う。無能を装ったしたたかさ、というか。
●「それでもいい」という人がいるかもしれない。というか、多くの人はそうであろう。
●私は、やはりこういう堂々巡りに至ってしまった場合、もう、何か抜本的な変化が必要なのだと思う。同じ土俵、物差し、パラダイムの範疇でやれることはやり尽くしてしまっているわけで、「馬車を何台繋げても汽車にはならない」(cf.シュンペーター)のだから。
●「迷わず古い荷物を捨て君は新しいドアを開けて進めば良いんだよ」とミスチルが歌っていたけれど、「そこだけ俺も同意」(cf.シロップ16g)します。

意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)

意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)